SPECIAL GUESTS
第5回 ガラス工芸家:豊島ルリ子さん

今年も暑い暑い夏がやって来ました! 夏と言えばビールに麦茶。あなたは何で飲んでますか? 飲み物って、器が大事。夏は涼しげなガラス器がいいですね。そこで、今回のゲストはガラス工芸家の豊島ルリ子さんです。ルリちゃんは現在、オーストラリアに住んでいます。ビンボーないなだは、まさかオーストラリアまでインタビューしに行くわけにはいかないので、今回のインタビューはメールで。でも、ホントは行きたかった!(2002 年7月)

一輪挿し いなだ:こんにちは。お久しぶりです。まず、ルリちゃんの簡単なプロフィールを紹介してくれる?

豊島:生まれは静岡ですが、両親とも仙台の人間で、小学校からは、ずっと仙台。高校卒業後は、日本各地を点々とし、北は、北海道から南は沖縄まで、フリーターのはしり(?)だった。27歳の時、このまま一生フリーターなのかなぁってなんか生きる気力とか失って、借金も100万くらいつくっちゃって、「もう、どうでもいいや、でも最後に生きれる可能性があるとしたら沖縄しかないかも。ええい!沖縄いっちゃえ!」って100万の借金と、250ccのアメリカンタイプのバイクに積んだかばん一個を持って、沖縄へ。で、稲嶺盛吉氏との運命的な出会い(?)があって、今のガラス屋の私があるのでした。いゃぁ、でもまさかオーストラリアに住んで、サーフィンやってるなんて、自分でも想像つかないかも。人生ってわかんないですねぇ。そして、ゆかりさんとも沖縄でたった一度しかお会いしてないのに、こうしてつながっているなんて、不思議。人生って面 白いですねぇ。いったいどこまでいくんだろう??

いなだ:そういえば、一回しか会ったことないのよね。私が沖縄で写真展をやった時、たまたまルリちゃんが画廊に来てくれて、「今から工房見に行こう」って。でも、何かすごいインパクトだったなー。あれはもう10年くらい前? その後、ときどき連絡をとってただけなんだよね。ところで、最初にガラスを始めたきっかけは?

豊島:27歳の時。とにかく沖縄に住みたいっていうのが、一番だった。で、できれば工芸ができたらなって。織とか染めとかが、女性にもできそうだったから、そういう方面って思いつつ、たまたま見学した大きなガラス工場で女性が働いているのを見て「ああ、ガラスの可能性もあるんだ」って。それで、電話帳で観光用じゃない小さそうな工房を探して、虹工房って名前もかわいかったからそこに電話して、「スタッフいりませんか??」って。それが、稲嶺さんの工房だった。(沖縄のガラス工芸の第一人者。私はおとうのガラスが世界で一番と思ってます。)今でも、稲嶺さん(おとう)と、はじめて逢った瞬間のこと覚えてる。本当に、後光がさしていて。「ああ、この人についていこう!」って。 グラス

いなだ:あ、じゃぁ、私が訪ねた時は、まだ沖縄に住んでまもなくだったのね。なぜ沖縄に住みたいと?

豊島:22歳くらいの時に、石垣島のダイビングショップで夏の間アルバイトしたことがあって。そのあと、東京戻ったけど、1年くらい頭のなかから石垣の青い空と、青い海が消えなかった。いつかは、沖縄って、それからずっと思ってて。

いなだ:沖縄っていいよねー。私もまた行きたいって、ずぅ〜〜っと思い続けているんだけど。あぁ、しまらっちょーが食べたい! でも、私に青い空と青い海は似合わない(涙)。・・で、稲嶺氏の工房で学んだことは?

グラス

豊島:稲嶺さんは、私にとって、父親のような大きな人。人としての生き方のようなものを教えてもらったような気がする。

いなだ:人としての生き方かぁ・・、今の子どもたちに対する教育に一番欠けていることだよね。学校で教えられることじゃないし。独立して大変だったことは?

豊島:窯をちゃんと仕事できる状態に常に維持することが、大変だった。はじめの1か月は、温度があがらなくて、ずっと窯の横で寝たり。自分でちゃんとコントロールできる窯がつくれるようになるまで、3年くらいかかった。初めての窯の時は、窯が心配で、火のはいっている間10か月間、隣に遊びにいくくらいで、一歩も工房から離れなかった。10か月後に、窯の火を止めて、街に出るとき、車がどっちがわ通 行だったか、忘れて困った。

いなだ:それは困った(笑)。でも、10カ月間、一歩も工房から離れないっていうのはすごい! あの頃は私もビンボーのどん底で、工房設立にぜんぜん協力することができなかった。ごめんね。それでもときどき近況報告をくれたりして、「ルリちゃんもがんばってるなー」と思っていたら、ある日突然「沖縄を離れます」っていうハガキが届いて仰天した。しかも「どこに行くかわからない」っていうし。なぜ大好きな沖縄を出ようと思ったの?

豊島:かばん一つで沖縄に渡ったのに、いつのまにか、いっぱいいろんなものに囲まれて、責任とか、しがらみとか、気付いたら、自分の許容範囲を超えてしまう環境になっていたからと、思う。 いつまでも地に足をつけないで生きたいってのが、ポリシーかも。もちろん今でも、沖縄が大好きで、まだ羽地なまりがぬ けてない・・・。

いなだ:オーストラリアを選んだわけは?

豊島:海外移住の一番の目的は、サーフィンだった。日本を出たのが11月だったから、とりあえず、夏のところがいいなって。観光ビザも6か月取れたし。その次は、コスタリカが候補だった。 でも、飛行機の中からゴールドコーストの波を見た瞬間から、ここに住もうって思った。実際住んでみたら、オージーの”てぇーげぇー”さ(いいかげんさ)が、とても沖縄的で、違和感なくって、ますます快適。

吊り花瓶

いなだ:サーフィンが目的だったのかぁ〜。いいなー、そういう理由。「地に足をつけないで生きたい」っていうポリシーも好きだな。むむ、そういえば、私も許容範囲、超えてるような気がしてきたぞ。・・実は私も密かに海外移住を狙っているんだわね。

豊島:海外移住、おすすめですよ。都合の悪い時は、適当に外人!!になれるし。

いなだ:外人、いいな〜(笑)。まぁ、猫たちがいる間は無理だけど。マジで考えてみようかな・・。ところで、作品を作っていく手順を簡単に教えてくれる?

徳利とおちょこ

豊島:まずは、レストランのゴミ箱から、空のビンを拾ってくること!! 沖縄の時は、そういう業者があって、ちゃんと洗って砕いてふくろにつめられたのを買っていたのだけど。まぁ、ただだし、せっせと集めてきては、洗って、割ってます。(だいたい一日350ccくらいのビンを50本くらい使います。)もちろん、自分でも透明のビンのビールをせっせと飲んでます。あとは、それを本窯(24時間1300度にキープ)で溶かして、ぷーって吹くだけ。一日30個くらい。吹いたやつを除冷窯(これは仕事してる間だけ、400度くらい)に入れて、ゆっくり冷まして、次の朝には完成。

いなだ:ゴミ箱あさり?! 日本じゃなかなかできないよねー。その道の専門の人に怒られちゃうかも(笑)。ガラスって、完成までわりと短時間なのね。そのガラスの面 白さって何?

豊島:直接手で触れないもどかしさ・・・かな。それから、瞬間勝負だし。一個吹くのが5分くらいで、次の日には完成で。気の短い私にはとってもあってると思う。

いなだ:作品を作る時に、心がけていることは?

豊島:なんだろう。気持ち良さかなぁ。

いなだ:私、ルリちゃんのガラスの器で、毎日、野菜ジュースを飲み、ビールを飲み、夏は日本酒を冷やして飲んでるけど、器は大事だねー。ルリちゃんのグラスで飲むと、ホントにおいしいよ。気分的にも、何んだか楽しくなるし。ルリちゃんの器を使ってくれる人に伝えたいことは?

豊島:すっごい、嬉しいです。ありがとう。もう、これにつきます。

いなだ:いえ、こちらこそ(笑)。最近、はまっていることは? やっぱりサーフィン?

豊島:もちろん! サーフィンもガラスととっても似てるんだ。瞬間勝負で、同じコンディションってなくって。

いなだ:瞬間勝負か。写真もそうだね。アタマの運動神経、鍛えておかないと・・。今後、やってみたいことは?

豊島:ここに、ギャラリーをつくって、沖縄を中心に、世界中のお友達の作品を紹介したり、いろんな人をゲストで呼んで、勉強会みたいなことをやったり。まぁ、その前に永住権の獲得だけど。

いなだ:私もいつか遊びに行きたいな。サーフィンはしないけど。

豊島:ゆかりさんも、ぜひゲストでいらして下さい。何の講演かなぁ?

いなだ:いやいや、講演よりおいしいものを食べるツアーがいいなぁ。

菓子入れ
豊島ルリ子 PROFILE
1965年 静岡生まれ
1992年 沖縄移住、稲嶺盛吉氏に師事
1995年 名護市おーしったいにglass studio 游設立
1998年 名護市田井等に移転 2000.11 オーストラリア移住
2001年 glass studio 游 in Australia 活動再開
2004年 オーストラリアのビザの期限切れに向けて、移住先探しの旅、インドネシア〜スリランカへ出発。
2005年 インドネシア・バリ島移住。8月、ロンボク島の南端グルプック湾の海の前の土地約7000m2を購入。
2006年 ゲスト・ハウス "Gerupuk Surf Bungalow Lakuen in Lombok" オープン。
Lakuen in Lombok
豊島さんのゲストハウス「Gerupuk Surf Bungalow Lakuen in Lombok」の情報など。
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